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震災後二ヶ月の仙台 丹羽規仁
●5月9日 ●5月10日 ●5月11日私の友人は昔仙台に住んでいた、津波の被害は無かったが知り合いの元気な顔を写真に残して欲しいそんな声から私は仙台に行くこととなった。
フォトグラファーとして、写真を撮ることが苦しかった事ははじめてだった、5月10日に石巻に向かうバスに乗った学生の顔は今でも思い出す程です。今まで誰にも見せる事は無かった写真ではありますが、私が被災地で感じた事を伝えるだけでも、もしかしたら名古屋との温度差を止めれれる切っ掛けになるなら、当日ノートに書き込んだ気持ちと共に見てもらえればと思います。
新幹線の中、郡山を過ぎたあたりだろうか、ブルーシートが屋根にかかった家がいくつも見え始める。震災の爪後が痛々しい、仙台はどんな状況なのか想像がつかない。
仙台駅は驚くほど日常を取り戻していた、街を見渡してみても阪神淡路のような建物の崩壊は見られなく、過ぎゆく学生の笑顔に大震災の被災地であることを忘れてしまうほどだ
街を歩き始めると、各所で建物の被害がみられる、痛々しい光景の隣では子供たちがサッカーをしている、主婦が洗濯物を取りこんでいる。
この地でも震度6の揺れはあったそうだ。
友人の昔住んでいたところだそうだ、建物にはクラックが入り鉄骨が見えるところもある、正確には覚えていないが確か10階程はある建物だ、震災当時は玄関が曲がってしまい扉が空かない家もあったという。当然電気も消えている中で閉じ込められていた人もいる事だろう。
住人は住み慣れたこのマンションから離れることなく、多くの人が生活を続けている、そして津波に流された人のことを思って私たちはいい方だと口にしていた。
このマンションの前には川が流れているのだが、津波が数百メートルのところまで来ていたそうだ。
名古屋に住んでいる私にとって、この日一番のショックだった事がテレビのニュースだ。
二ヶ月たった名古屋ではまるで救援物資は足りているかの様な報道がながれ、ある市では物資を届ける先がなく物資の管理に困っていると伝えられていた、複雑な矛盾を感じながら一日を終えた。